上海から引き揚げ 音楽療法のひとこま

ある日の高齢者デイサービス

 

《上海帰りのリル》という曲があります。

この日の音楽療法のテーマは外国の地名の付いた曲ということで

この歌を歌う前に、上海ってどの辺にあるのかを私のつたない世界地図でご紹介しました。

そして歌い終わり、私はKさんに話しかけました。

Kさんは大正12年生まれの男性です。

以前《蘇州夜曲》を歌った時に、兵隊で蘇州に2年2カ月居た、ということを聞いていました。

 

「Kさん、蘇州から上海はどれくらいの距離ですか?」

「近いよ。60キロくらい離れてる。日本に帰ってきたのは上海からだったからね。」

「え!そうなんですか~上海ってどんなところでした?」

それからKさんは一気に話しだします。

「収容所にいたから街の様子はわからない。収容所はたくさんの兵隊が帰れる日を待っていたよ。

板の間に毛布を敷いたところにみんなで雑魚寝。夜中に便所に行って帰ってくると自分の寝場所が無くなっている。仕方ないから人の上に寝たんだよ。」

「食べるものはおじやみたいなもので一日2食。知り合いが居たりすると白いご飯を貰ってきて飯盒で炊いて食べてる人もいたな。」

「収容所には2年居て、昭和22年3月に帰ってきたんだ。一日一日過ぎていくたびに、帰る日が一日近づくんだ、と思っていたよ。」

「貨物船にぎゅう詰めで乗って、最初の1週間は揚子江の水で海が真っ赤なんだよ。それからがひどい船酔いだ。やっとの思いで博多に着いたんだよ。」

「その頃ラジオで引揚者情報をやる時間があって、親父がラジオに耳を付けて聞いたら、オレの名前があってさ、知っていたんだよな。それで帰ってきたら、道の向こうからオフクロと姉が走って来たよ。」

そう言って笑いました。

 

Kさんが話してくれた言葉の裏にたくさんの想いがあることに気づきます。

この日Kさんは退院後初めてのデイサービスの利用日でした。

しばらく体調をくずしていたのです。

このような貴重なお話しをしてくださる方がどんどん減っています・・・

 

実は音楽療法が終わって皆さんと一緒にお茶とお菓子をいただいている時も

Kさんは終戦のころの話を聞かせてくださいました。

そして最後に「生きて帰ってくると思ってなかったよな~」

 

私は音楽療法の時間に

音楽が媒体となって、その場にいる方がいろいろな話をしてくださり

その話をみんなで共有し、共感し、想いをひとつにする、ということを

重要な目的のひとつにしています。

そして、ひとりひとりが自分の人生を認め、皆の人生を認める、ということを目指します。